フィアット車の歴史 FIAT600 セイチェント

FIAT 600(セイチェント)は旧チンクの大きなお兄ちゃん!トッポリーノの後釜だったイタリアの隠れ名車

投稿日:2018-12-23 更新日:

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初代500ことトポリーノの後を引き継いだのは、2代目チンクエチェント(Nuova500)の前に登場している『600 セイチェント』で、チェント(100)を共有してるお兄ちゃん的存在のクルマ。

どうしても旧フィアット500の方が超有名なので、あまり知られていないのが残念なのだけど、味わい深いイタリアの名車の一台だ。

Emslichter / Pixabay

 

トポリーノの成功が評価されて、戦後自動車部門のチーフエンジニアとなったダンテ・ジャコーザ。当時として近代性を誇っていたトポリーノも誕生から20年が経ち、続々と排出される戦後型のクルマと比較され旧態化は顕著になりつつあった。まだ500Cの売上は好調であったものの、フィアットは新しい進歩的な小型車を開発し、世界の小型車市場へと参入してゆくという積極策に出る。

ただ、設定された設計目標は「500トポリーノより小型で軽く、しかも完全に4人が乗れて、より高性能かつ相対的に経済的な車」という超過酷なハードルの高難易度ミッションであったという…(今でいう無茶振り

しかし、それでも結果を出すのがダンテ・ジャコーザが伝説的な鬼才と言われる所以である。彼は早速、託された500の後継車の開発に入った。最初はシトロエンなど一部のメーカーが実用化していた前輪駆動にチャレンジしたようだが、ジョイントの問題が解決できずにあきらめる(その後60年代にジアコーザ方式として実現)

代わりに採用したのが、フォルクスワーゲンなどですでにおなじみのリアエンジン方式(RR)だった。こうして開発されたのが2代目500。つまり、ヌオーヴァ・チンクエチェントに先行すること2年前の1955年にデビューした600(セイチェント)である。

ホイールベースは同じく2000mmで、エンジンはトポリーノのそれを633ccに拡大したものだった。

モノコック・ボディの後部にエンジンを置くことで徹底的にスペース・ユーティリティ性を追求。課せられた設計目標を見事に達成された600(セイチェント)は1955年のジュネーブ・モーターショーで発表され販売、大きな成功を収めた。

500に数字を100をプラスすることで、従来型より進化したことをアピールしたかったのも命名の目論見のひとつだ。ちょっとしたセールステクニックである。

 

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1960年前後の最盛期にはフィアット社の全乗用車における生産数の半分を占めるほどの売れ行きを誇った。当時、イタリアにおけるFIATのシェアは80%に達していたので、イタリアで生産される自動車の10台に4台はセイチェントだったということになる。この成功には600をベースに開発された『ムルティプラ Multipla』の存在も大きい。

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