オーストリアのシュタイアーマルク州都・グラーツを本拠とするシュタイアー・プフ社(Steyr-Daimler-Puch)がライセンス生産を手掛けたフィアット車こそ、知る人ぞ知る「シュタイア・プフ500」。文献によってはシュタイヤー・プッフと表記される。
オーストリアドイツ語という方言にあたる言葉が公用語らしいけど、残念ながら僕は500のドイツ語は分からない。(チンクエチェントをドイツ語圏の人たちはどう呼ぶのだろう?)
シュタイア・プフ500|オーストリア版フィアットの誕生
第二次世界大戦後、1954年にようやく自動車製造を再開することになったシュタイアー・プフ社。自社での開発コストを賄えるだけの経営的体力がなかった同社は、イタリアFIAT社との合意によりフィアット500のライセンス生産に漕ぎ着ける。ボディはリアのエンジンカバーとキャンバストップ(コンバーチブル)のみが自社生産だったそうで、ほぼイタリア製。
フロントエンブレムや計器メーター類など細部の部品は異なる。
エンジンやトランスミッションは独自に製造されている。特にエンジンは本家と同じ2気筒でありながら、構造は全く異なる16hp/12kwの水平対向エンジン(フラットエンジン/ボクサーエンジン)を搭載。その回転は遥かにスムーズで、当時の本家オリジナルよりも高性能とのもっぱらの評である。
ちなみに、水平対向エンジンは1896年にベンツ社(現ダイムラー社)の創始者カール・ベンツが発明。クランクシャフトを挟んで左右対照に向かい合った対のシリンダーが同時にピストンするので、さながらボクシングのパンチの交錯を思わせる動き方から別名ボクサーエンジンとも呼ばれる。
「Steyr-Puch 500」はヌオーバ・チンクエチェント(Nuova500)のデビューと同じく1957年に発売された。ヌオーバ同様に、当初はコンバーチブルのみが導入されている。
1959年に最初のマイナーチェンジが行われ、Dタイプの500D(チンクチェント・ディー)をベース車としたモデルSteyr-Puch 500Dが登場。後方まで開閉するカブリオレからクローズドトップに仕様変更され、金属ルーフ部分も含めてボディはイタリアFIAT社製となる。
さらに豪華版モデルの500DLには20hp/15kwのより強力なエンジンが搭載。1961年には、700C(Combi)と700E(Eco)の2つのエステートワゴン・モデルが発売。すなわち「ジャルディニエラ Giardiniera」のシュタイア・プフ版である。どちらも排気量アップした643ccエンジンを搭載。1962年には従来のセダン車にも大型のエンジンが乗せられ、650Tが発売。
数年後、さらに660ccにブーストされたモデル650TR(TRは地名のトンドルフTonndorf)と650TR Ⅱが登場。
タイプ | 製造年 | cc | 力 |
---|---|---|---|
500 | 1957〜1959 | 493 | 16馬力(12 kW) |
500 D | 1959–1967 | 493 | 16馬力(12 kW) |
500 DL | 1959–1962 | 493 | 20 hp(15 kW) |
700 C | 1961〜1968 | 643 | 25 hp(18 kW) |
700 E | 1961〜1968 | 643 | 20 hp(15 kW) |
650 T | 1962〜1968 | 643 | 20 hp(15 kW) |
650 TR | 1964〜1968 | 660 | 27 hp(20 kW) |
650 TR II | 1965〜1969 | 660 | 41 hp(30 kW) |
500 S | 1967〜1973 | 493 | 20 hp(15 kW) |
126 | 1973–1975 | 643 | 25 hp(19 kW) |
シュタイア・ダイムラー・プフ Steyr-Daimler-Puch
1864年にヨーゼフ・ヴェアンドルが小銃工場として設立したのがはじまりで、射撃用の的を図案化したエンブレムのデザインは、銃器製造会社のルーツを感じさせる。
1894年からは自転車の製造を展開。さらにシュタイヤー・ヴェルケ(Steyr-werke)とプフ・ヴェルケ (Puch-werke)の2社に端を発し、1899年にオーストリアのシュタイヤーマルク州(Steiermark)にてヨハン・プッフ(Johann Puch)が創業し、1915年にはグラーツを本拠地とする自動車製造に参入。自動車1号車「タイプII」は重厚かつ良質な作りで、後に登場するスポーツバージョンと共に世界に強い印象を与えた。
1958~59年にハフリンガー(Haflinger)の生産を開始し、1976年まで製造された。そして、軍用車両をベースに民生用車両として開発され1979年に発売されたのがメルセデス・ベンツのGクラスである。当時のシュタイアー・プフ社はメルセデスの関連会社で、両社の共同開発モデルとしてデビューする。当初は「ゲレンデヴァーゲン」と呼ばれており、堅固なラダーフレームと4輪リジッドサスペンション、パートタイム4WDを採用。2ドアのショートボディーと4ドアのロングボディーの2タイプをラインナップしていた。
一貫しているユニークなのは自社ブランドの車両を開発・販売する自動車メーカーとしてではなく、世界中の自動車メーカーの製造を受託し車両を生産している点である。
かの「フィアット・パンダ FIAT PANDA」の4WDモデル 4×4(フォー・バイ・フォー)の四輪駆動技術にもシュタイア・プフが参加しているのはパンダ愛好家の間では有名な話だ。
シュタイア・ダイムラー・プフは1990年に分割され、それぞれの部門はオーナーや名称が変更されたのち継続している。自動車製造部門はカナダのマグナ・シュタイアー社の子会社として継承されている。
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