ヌオーバ500が開発される少し前に登場したFIAT600(セイチェント)の亜種である600 Multipra(ムルティプラ)。
600開発当時(1955年)、フィアットの上層部はセイチェントのRR方式に対して前向きな姿勢は示していなかったという。初代500ことトッポリーノ晩年の頃に主役だったワゴンタイプ(ジャルディニエラ)が、リアエンジン・リアドライブのRRレイアウトでは作れないではないか、との主張であったという。
たしかに、リア部分にエンジンを積むのだから後部にスペースが確保できないと考えるのは普通の見解ではある。しかし、その常識を覆してしまうのがダンテ・ジャコーザの独創性、非凡さの所以であり、その証明の一つとして足跡を残した個性的な名車が『600 Multipra ムルティプラ』だ。
タクシーや運搬車など商業車としても活躍。
ベース車の600と同様の小さなボディながら、バツグンの積載能力を持っていたムルティプラは50~60年代の大ヒット車のひとつ。奇抜なフォルムにも関わらず、可愛らしくて実用的。
古いイタリア映画でもその姿がフィルムに収められていることがしばしばあり、映画『黄金の七人』(伊題:7uomini d'oro)にもワゴンタクシーとして登場。(上のYouTube動画がその登場シーン)
ルパン三世の元ネタとも言われるイタリア映画で、ヒロインは完全に峰不二子ちゃんそのもの。
難問とハードルをクリアするためにダンテ・ジアコーザが講じた対策は、運転席を前輪軸の位置まで前進させることで、3列シート6人乗りのマルチパーバスビークルを実現するというものだった。これが初代ムルティプラが極めて変わったフォルムとなった経緯。フィアット車・イタリア車史のみならず自動車の歴史に残るユニークな形状のクルマが誕生した。
ジアコーザは本当にやり繰り上手というか、上層部からの半ば無茶振りなオーダーすらも(苦心の末)次々と実車として顕現させることに成功した天才なのだけれど、ご本人的には限りある条件とコストが枷となり、自信が理想とする形を達成できずに妥協した部分も少なくなかったらしい。
初代ムルティプラには5人乗りの2列シートと6人乗りの3列シートの2タイプがあり、どちらも2、3列目のシートは折りたたんで積載スペースとして使用することができるよう設計されていた。
1960年には600のマイナーチェンジとあわせてMultipraにも改良が加えられ、エンジン排気量は633ccから767ccへと拡大、最高出力も19馬力から29馬力に向上している。
また、外観的にもフロントウインカー等が大型化されている。こうしてミニバンの祖ともいえるムルティプラは、フィアットのベーシック・グレードが600シリーズから850シリーズに移行する1965年まで生産が行われた。
フィアット500同様に、1998年に現代版の2代目ムルティプラが誕生している。
・・が、あまりにキャラが濃すぎて不評だったというブサ可愛い名車(迷車)である。
ロベルト・ジョリートが携わっており、たしかに妙にじわじわ愛着のわくチャーミングさのあるデザインと言えなくもないが、いかんせん時代の先を行き過ぎたのだ(笑)