フィアット車の歴史 FIAT500 / Nuova500

旧チンクことフィアット・チンクエチェント|Nuova500(ヌォーヴァ)の名を持つ新型ごひゃく☆

投稿日:2022-10-26 更新日:

Bernhard_Staerck / Pixabay

今では「旧型フィアット500」と呼ばれたり、現代の新型チンクエチェント(ニューチンク)と区別するために、古い方の「旧チンク」と言い直す場面も多くなったFIAT500。ご存知、ルパン三世がカリオストロで乗っていたイタリアの歴史的名車だ。

我が家では新旧フィアット500の2台に乗っているけれど、旧チンクの方を後に買ったので、「今日どっち乗ってくの?」「新しい方」「え?どっち?」とお約束みたいなやり取りを毎度している笑(最近では「白い方」と「青い方」で区別してる)

 

しかし、クラシックカーであるオールドタイプの方のFIAT500も、そもそもは”新型フィアット500”だったのだ。

1957年に登場した今で言う「旧チンク」は、新しい500という意味の「Nuova500(ヌォーヴァ500)」という正式名称で発表されている。直訳するとまんま「新型500」「ニューチンクエチェント」という車名。たしか途中のシリーズからNuovaが取れてオフィシャル的にもシンプルな「500」という呼称になったはず。

「新」というからには「旧」があったわけで、それが第二次世界大戦をはあんで20年にわたり生産された「トッポリーノ(ハツカネズミ)」の愛称を持つ初代500というクラシックカー。

初代フィアット500トポリーノとは?映画「ローマの休日」でオードリー・ヘプバーンも乗車♪

ただ、外見はあまり似てなくて、受け継いだのは「最小の寸法で最大の実用性を備える」という基本思想で、エンジン排気量を除けば機構的には異なるクルマではあった。初代500の方はまさにネズミのように鼻先が長いフロントエンジンでもある。

一方のヌオーバ500は、直列空冷2気筒OHVエンジンをリヤに縦置きしていうる。エンジンの前方にギアボックスを置く配置で、全長2970mmに大人4人が乗り込むスペースを実現。トポリーノは荷物用スペースに人が無理やり乗り込むことはあったものの(ローマの休日でグレゴリー・ペックが後部に立ち乗りしている)、設計上は二人乗りだった。

初代も二代目どちらも、名前の由来は約500ccの排気量からチンクェチェント(=イタリア語で500の意)で、数字・ナンバーでありながら、イタリア語特有の可愛らしい語感ゆえか世界中で親しまれる呼称だ。

ちなみに、現代のチンクエチェントはあくまでオマージュで、当然ながら500ccではない。それでも2気筒875ccのミニマム・ターボエンジンを積み込んだ「ツインエア TwinAir」を世に送り出すなど、先進的でありながらアクロバティックな手法で、見事に先代から受け継ぐコンパクトカーの理念を体現してみせている。さすがフィアット。さすがイタリア。

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自動車としての機構的には、2年先の1955年に誕生した兄貴分のフィアット600(セイチェント)が設計ベースとなっている。セイチェントは初代500ことトポリーノ(Topolino)をあらゆる点で上回ることを目標に開発されたクルマで、4人乗りの車内空間を実現した上で、性能的にも向上している。

MysteryShot / Pixabay

600(セイチェントは)は原動機を高車軸の後方に搭載する機構配置で、ヌオーバ500もその配置を踏襲している。兄弟と言われる通り、外観も600とNuova500はよく似ている。

セイチェントが約600ccの水冷4気筒なのに対し、新型500は空冷2気筒エンジン搭載とダウンサイジングされ、外寸も縮小しコンパクトになっている。これは経済性を最優先させたため(有り体に言ってしまえば貧乏人も乗れるクルマを量産したかった)で、静粛性や快適性は犠牲となっている。そういう意味で、先発のセイチェントの方が高級車なのだ。

 

当初479cc・13HPというエンジンを積んでいたフィアット500には、1958年に499.5cc・21.5HPのFiat 500 Sportが登場。

さらに、そのエンジンをデチューンしたFiat 500D(1960年)、ステーション・ワゴン・ボディのGiardiniera(ジャルディニエラ)が誕生。そして、駆動系の強化、ボディのマイナー・チェンジを施したFiat 500F(1965年)、その内外装を豪華にしたFiat 500L(1968年)、Fiat 500の後継モデルであるFiat 126の594ccエンジンを搭載するFiat 500R(1972年)などのモデルが登場する。

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先の600(セイチェント)が成功を収めていたにも関わらず、新500を開発・投入することで、結果的には1976年の生産終了まで20年間にわたり絶大な人気を博す歴史的名車を生み出したフィアット社。ここ一番という時の手腕には脱帽せざるを得ない。

当時のイタリアでは、ベスパ(Vespa)やランブレッタのようなスクーター、そしてイセッタといったバブルカーと呼ばれる超小型車が市場シェアを獲得していたので、それに対抗するために600より一回り小さいクルマを開発をフィアットは画策した。本格的な乗用車の体裁を整えつつもバイクと競合できるほどの低価格と経済性を備える大衆車、それがヌォーヴァ500だった。

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まあ、最初こそ経済性重視をやり過ぎて、デビュー当初はケチケチした自動車として評価されなかったようだけど、結果的には初代500を凌ぐ大成功作として大当たりして世界的な愛されキャラとなったわけだ。約20年近くに渡りそのほとんどの年でフィアット社の最大販売台数を記録し続けて同社を底辺から支え、今なお3代目のニューチンクでご飯が食べれるのだから凄い。

そして、たくさん売れたというだけでなく、象徴的な存在として多くのイタリア人はたまた世界中の人に愛されているクルマであることも凄い。このクルマの歴史的意義はまさにその点にある。

先述の通り、500は長い生産期間において幾度もマイナーチェンジを経ている。エンジン排気量の拡大、細部の意匠変更、時代に見合った安全性の向上など改良されつつも、その基本設計は変更されていない。更には同じ設計を踏襲しつつ後継の126に引き継いでその後10年近く、つまり1980年代くらいまで生き延びている。もちろん今なお現役のオリジナルチンクは数多く元気に走り回っているのだから驚くばかりだ。

これは、旧車であるチンクエチェントの基本設計が、如何に優れているかを証明している。

庶民のアシ車として低価格化を実現するとともに、小さなボディの限られた条件下で最大限のポテンシャルと叡智を詰め込んだ、ダンテ・ジャコーザの鬼才っぷりはちょっと簡単には語り尽くせないですな。可愛さを狙ったわけでなく、あくまで結果的に可愛くなったという… 何とも数奇なイタリアらしいイタリア車なのだ。



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